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あきる野市の歴史

あきる野の地は、豊かな水と自然の中に早くから文化が開け、縄文時代から古墳時代の考古学研究史に残る遺跡が多く発掘されています。

武蔵国は代表的な馬の産地で、4つの勅使牧の1つである小川牧は、小川郷(秋川・平井川流域)を中心とした牧でした。鎌倉時代、この地域は秋留郷と呼ばれ、武蔵七党のうち西党に属する小川氏・二宮氏・小宮氏・平山氏などが鎌倉幕府の御家人として活躍していました。また、室町時代において、武蔵総社六所宮随一の大社である二宮神社は、小川大明神と呼ばれていました。

戦国時代の末期からは、伊奈と五日市に「市」が開かれ、江戸時代になると木材は、秋川・多摩川を筏で流し、江戸に送っていました。このほか、絹糸を泥染めした黒八丈は、柔らかく深い艶のあることから、帯や羽織の衿などに珍重され、別名「五日市」と呼ばれました。江戸時代の集落は、秋川・平井川の段丘面や草花丘陵縁辺などに点在し、現在の市域の字である32ヶ村となって明治時代に至っています。

明治時代初期、あきる野は韮山県・品川県などに所属し、その後、神奈川県、東京府と移管されました。明治12年(1879年)には、五日市村が五日市町になり、その10年後には町村制が施行され、東秋留村・西秋留村・増戸村・明治村・三ッ里村・小宮村が誕生し、小中野村が五日市町に合併されました。
それから昭和にかけて、幾度もの合併を重ね、昭和47年(1972年)には秋川市が誕生し、平成7年(1995年)、秋川市と五日市町の合併により、あきる野市が誕生しました。

(あきる野市資料提供)
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